人を説得する前に、まず自分が納得しているか、という話
最近以下の記事を読んで15分で記事を作成するという試みを始めてみることにしました。
ストップウォッチをセットし、きっかり15分。とても短いので、緊張感もって書けます。まともな文章を書くための練習ですね!ということで、その戯言にお付き合いくださいませ。
さて日々失敗し、日々学んでいるわけですが、今日は「人を説得する文章」についてアドバイスをいただいたので、それを忘備録としてブログにつづりたいと思います。
人を説得させるよい文章
「悪くはないけど、よい文章ではない」
ある資料を作った時にご指摘頂いた言葉です。
「よい文章」とは何か。それは文法構造がしっかりしてるものでしょうか?文学的表現が素晴らしいものでしょうか?語彙力が豊かなものでしょうか?確かにそれもあるでしょう。
究極的によい文章というのはそれらを含んだものでしょうが、ここで言いたい「よい文章」というのは、そんな大それたものではありません。それを読んで、「ああ、なるほど」と思ってもらい、人の心を少しでも動かすものを指します。人を説得させるだけでよいのです。そんな「よい文章」には何が必要かというお話です。
感情がそこにあるか
「よい文章」は、感情があります。逆に「悪い文章」には感情がありません。
もちろんニュースなど、不特定多数に事実という普遍的な情報を伝えなければならない立場にある場合は、感情はないほうがよいです。ただブログや手紙など、個人の考えを特定の誰かに伝えたいと考えるときには、この「感情」が不可欠です。
その感情がない文章は単なる「情報」に過ぎません。情報は人の心を動かしません。「ふーん、…で?」てなもんです。逆に感情あるものは「そういうことね!」と人に何らかの示唆を与えます。大仰なものでなくてよいのです。まずはその程度でよいのです。
先日プレゼンの極意というブログ記事を書きましたが、近しいことを言っています。
そこに「情熱」はありますかと。これが伝えたいというのもひとつの感情なわけですから。
自己納得こそ感情のきっかけ
では、その感情はどのように生まれるのか。感情がない人はいないですから、皆持っているわけですが、問題はその感情を文章に載せられるかという話です。伝えたいことはあっても、それがうまく表現できないジレンマは誰もが抱えていることでしょう。そんな時どうするか。
まず問うべきは、自分が納得しているか?ということです。自分を騙して、納得した気になっていないかということです。
- 以下の問に答えられているか。胸張って言えるのか
- 何をするのか
- なぜそう言えるのか
- 誰に向けてそれをやるのか
- どうやってそれをするのか
- いつそれをするのか
- 誰がそれをするのか
というのを整理しなさい、と。これに答えられないということは納得してないのに、納得させているのです。それでは上手く伝わりません。人を説得する以前に自分は納得しているのか。人のことなど、その次でいいのです。
自分が納得しておらず、自分を騙して納得しているフリをして書く文章というのは、ただの「情報」に成り下がります。それは仮にロジックが成り立ち、表現豊かだとしても「悪くない」文章ですが、「よくもない」文章になってしまいます。
自分を騙すな、世界を騙すな
「自分を騙せ、世界を騙せ」なんてセリフもありますが、そんなことは初心者は鵜呑みしちゃいけません。自分をまず説得しないと、世界というか相手を説得することはできません。
文章を書く前も、書いてる途中も、書いた後も常に問いましょう。
それで自分は納得するか、と。
…という大事なことを教えて頂きました。すぐに「よい文章」がいつでも書けるようにはならないでしょうが、すぐに自問をすることはできます。まずはそこから始めて、上手く書けるようになりたいものです。がんばります。ありがとうございました。