大事な本こそ汚す!読書の常識を覆すレバレッジ・リーディング(本田直之『レバレッジ・リーディング』)
大事な本だから汚さない、ではない。大事な本だからこそ汚すのだ。
「本は綺麗に扱う物」
小さい時からそう教えられてきた。いかに折り目を作らず、綺麗に読めるか。黄ばんだ本など絶対に読みたくない。本屋で買ってきたものと同様に保ち、古本屋で新品同様に売るか。そのために帯も外さず大事にしていた。捨てるなんてもっての外だ。
そんな風に本を扱ってきた読書好きは多くいるだろう。かくいう僕もそんな一人。これでいいのだ、と思っていたところ、本田直之の『レバレッジ・リーディング』を読んで衝撃を受けた。
本はボロボロに汚して始めて、自分のものになる
本はとにかく汚して、ボロボロにするべきです。汚くするのが、本に対する愛情の示し方です。
著者が読者に積極的に本を汚すことを勧める本なんて、今まで読んだことがなかった。もちろん著者は本を憎んでいるわけでも、嫌っているわけでもない。年間400冊のビジネス本を読みこむほどの読書家だ。他の人の数十年分の試行錯誤の軌跡が、ほんの数時間で理解できる、とんでもなく安価で割安な物、と本の素晴らしさを語っている。
この本のタイトルでもある「レバレッジ・リーディング」とは、仕事や生活上で実践し活用するための、積極的な読書をいう。他人の知恵や経験というレバレッジをかけることで、自分のやりたいことができるようになる。そして隅から隅まで読むのではなく、自分の目的を果たすポイントに注目しながら、スピーディーに読み進めていく。そして多くの本を読む「多読」を進めている。
ではどう読み進めていけば、自分の知識になるのか。その鍵が「汚す」ことだ。
「汚す」とは、もちろんジュースや食べかすで汚すことではない。具体的には以下のことを指す。
- 気になったところに線を引く
- 線を引いたらページを折る
- 重要と思ったら、マークをつける
- アイデアを思いついたら、余白に書きこむ
ここでは一切のこだわりはない。
定規?もちろん使わない。よれよれの波線でも、分かればいい。
ペン?書けるものであれば何でもいい。そこら辺のものを適当に使え。
使い分け?そんなの一切ない。余計なことを考えるな。
とにかく線を引いて、☆をつけて、ページを折って、何か思いついたらメモしろ。それだけだ。
自分だって線を引くことくらいはしたことがあった。ただし、それは読書が終わった後、何色ものマーカーを使い分け、定規を使って綺麗に線を引くことだった。世界史の用語集を5色のマーカーで全部引いたこともあった。まったくもって無意味だった(笑)
上に挙げられたことは、実にシンプルなことしかない。けれど「本を汚してはいけない」という気持ちからそれを一切してこなかった。おかげで本は綺麗だが、頭も綺麗サッパリ忘れてしまっていたというオチだ。まったくもって笑えない。
人それぞれ違う本の「汚し方」。自分にしか分からない、ヨレヨレの字や線たち。そうして汚れていって、始めてその本は自分の本になる。
読んだままで終わらせない!「究極の本」をつくる
そして読みっぱなし、書きっぱなしで終わらないのがポイント。人間は忘れる生き物だから、読書後のフォローが大事。
読書した後、線を引きながら読んだ汚れた本からエッセンスを抽出する。折ったページを中心に、線を引いた箇所やマークをつけたところを打ち込む、もしくは書きこんでいく。そして自分だけのメモをつくる。こちらも特に形はない。箇条書きでがんがん打ち込んでいく。
僕の場合は、Evernoteでメモをまとめることにした。以下のように。
そうして読書の度に蓄積されていくメモをやがて、ジャンルごとにまとめて「ノート」にする。それを印刷して、時間のある時に読んで、また線を引いたり、メモできたら最高だ。確実に記憶に定着していく。
やがて、それは自分だけの「究極の本」になる。
そこまでいけば、汚れた本にもう用はない。躊躇することなく捨てていい。
本を大事にするとは
僕は本が好きだが、この本を読んで「本を大事にする」とは何かを考えさせられた。
本とは骨董品ではない。もちろん太宰治全集とか手塚治虫全集とかには、それなりの扱い方が必要だろう。けれど、書店で並ぶ本たちにそのような気遣いは不要だ。
本は何のために存在しているのか。
それはあなたに何かを知ってもらうため。それ以外にはない。であれば、僕らは知るための努力を惜しんではいけない。それが本を汚すことであろうとも。
読書の仕方を考え直したいあなたに読んで欲しい一冊。
- 作者: 本田直之
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2006/12/01
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