リテラシーラボラトリ

リテラシーを考える

「リア充」に見るコミュニケーション格差と、求められる教育について

「リア充」という言葉から、コミュニケーション格差の問題。そしてそれを解決するコミュニケーションの教育について考えてみました。すこし真面目な話です。ただ個人的に大きなテーマです。

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コミュニケーション格差という問題

「リア充」。インターネットにある程度ふれている人にとっては聞き慣れた一つの単語です。そして同時にその言葉は人によってはネガティブなものとしてとらえられています。僕自身もあまり好きな言葉ではありません。



実際の現実の生活(リアル生活)が充実している人間のこと。

この言葉をネガティブに感じるということは、「自分はリア充ではない」ことに少なからずコンプレックスを抱いていることがいえます。

ここでいわれる、リア充の最大の特徴は何かというと、「コミュニケーション能力が極めて高い」ことが言えると思います。恋人や飲み会への参加、スポーツなどの趣味は、すべてコミュニケーション能力が問われます。コミュニケーションができればできるほど、現実の生活の充実度は増すのです。少なくとも周りからはそう見られます。

逆にコミュニケーション能力があまりないと、恋愛や友達付き合いでの充実度は彼らと比べると低くなる。本人はそんなことないと思っていても、周りからは充実してないように思われてしまうのです。そして「リア充」に対して、劣等感を覚えるのです。これが「リア充」をネガティブに感じる原因といえるでしょう。

「リア充」と「リア充でない人」との違いは、コミュニケーション能力の格差があります。いわゆる「コミュ力」が高い人が仕事でもプライベートでも成功しているイメージの上に「リア充」という言葉があるのです。

この問題を「リア充、爆発しろwww」と笑って済ませられる人はいいのです。強く劣等感を感じていない人にとっては、大きな問題ではありません。しかし、強くコンプレックスを持っている人も多くいるのが実情だと思います。そういう人にとっては、全く笑えない問題なのです。

コミュニケーションの質ではなく、量の問題

さて、このコミュニケーション格差の問題ですが、どこに問題があるのかを考えたいと思います。

コミュニケーションと調べると、よくあがるのはライフハックの情報です。例えば以下の記事は、はてな内でブックマークのついた人気の記事です。

こういった記事を人は好みます。普通に気になりますよね。ぼくも大好きです。

しかし、気をつけなければならないのは、これらは話し方であり、技術であるということです。つまり、役立つようには思いますが、結局使わないと何も意味がありません。

使う機会、つまり話をする機会がある人には、大いに役立つ情報となりえるでしょう。しかし、話をする機会がない人たちにとっては、単なる知識に終わってしまいます。使わなければ、身にはなりません。

コミュニケーション格差の本質は、話す技術ではありません。大事ではあるけれども、それ以前にまず話をしないと、そこが問題になりません。コミュニケーションの量が一定以上あって、初めて活きる技術です。

どんなにコミュニケーション能力が高い人だって、自宅に閉じこもって1週間誰とも会話せずに生活してみたらどうなるでしょう。確実にコミュニケーションに問題が生じます。平日仕事でコミュニケーションをしていても、土日誰とも会話しなかったら、月曜日に同僚へ声をかけるのに違和感を覚えずにはおれないでしょう。

まず問われるべきは、「いかにコミュニケーションがうまくなるか」ではなく、「どれくらいコミュニケーションをしているか」ではないでしょうか。コミュニケーション量を増やすことが先決でしょう。

コミュニケーション教育の必要性

先日「Social Skill Training」というものを、NPO法人で働いている友人から教えてもらいました。通称SSTと言われ、引きこもりの人たちを支援するNPO団体などで活用されようとされているコミュニケーション教育の一つだそうです。

そんなものが必要なのかという驚きの反面、それだけ求められていんだなあと強く感じます。それだけコミュニケーション機会に必要性を感じているのです。飢えているといっても過言ではありません。

インターネットが普及し、家庭用ゲーム機も誰もが持っている現代です。しかも、それらはモバイル性を高め、「みんなで楽しむ」というより、「1人でも楽しめる」要素がどんどん強くなってきました。これは楽しい時間が増える一方で、「コミュニケーション機会の損失」以外に他なりません。

これは今は楽しくとも、将来的に大きなリスクとなることは間違いありません。コミュニケーションせずに人は生きてはいけないのですから。学生時代のコミュニケーションをしないリスクと、社会人となってからのリスクの大きさは比較になりません。就職活動なんかでその点は露骨なまでに現れてしまいます。

単なるひがみを言うレベルの「リア充でない」人にとっては、大きな問題にはなりません。しかし、どうしたら少しでもコミュニケーションができるようになれるか、を真剣に悩み苦しんでいる人は、ぼくらが想像している以上に多いのではないでしょうか。「リア充」の言葉が普及すればするほど、そう思います。

このコミュニケーション教育、そこまで大それてなくてよいですが、コミュニケーション機会を生み出すことが今後大事になってくるのではないかなと思った次第です。ぼく自身はとても「リア充」ではないですが、何かしらの形で支援したいと思います。

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特別支援教育をサポートする 図解よくわかるソーシャルスキルトレーニング(SST)実例集

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