ネットも書も捨てて、町へ出てから、書とネットに触れることの大切さ
改めて「実践」の大切さを知らされる日々です。「学習効率を高めるには〜」みたいなテーマをもっていますが、結局は「実践」であり、「行動」以外の何物でもないなと痛感します。行動前の読書とネットより、行動後の読書とネットは意味合いが異なる。その点気をつけたいなーというお話。
情報に流されていないか
インターネットを見ていても、書店に足を運んでも、目に飛び込むのは扇情的なタイトルばかり。
- 「人生を劇的に変える○つの方法」
- 「社会人なら知って当たり前!?心を開くトーク術」
まあ、上記のは適当ですが、こんなん多いですよね。それだけ求められているというのはあるのでしょうが、これで人生変わったら苦労しないんだっての、と。変わるんだったら、こういう類の本はこれほどの頻度で出版されないっての、と。まあ、明白なことですよね。
こういった自己啓発本やライフハックといった「気軽に人生変えられまっせ」情報はともかく、良書と言われる質の高い本も数多くあります。読むならこういう本ですよね。はてブでもこれは読むべきと勧めらていて、そう心がけてるのですが、いやはや
読めない
いや、読めてはいるんです。読むのが苦痛でしかない本もあるけど、確かにすらすら読める本はある。しかし”読んでるだけ”になりがちです。「あー、読んだー、いい本だったー。…で、何書いてあったっけ」的な。栄養満点の食べものを口に入れても、特に消化もできず、そのまま出ちゃうような感じです。僕がバカってのもあるんですけど、それは置いておいて、心当たりある人はあると思います。これは胸張って読書とはいえないですよね。学習効率が低いから。
その原因は明白で、「なぜこの本を読むか」「何をこの本から学びたいか」がないからです。
その上で読む本やネットの情報は、ただの「情報」であり、自分の「知識」にはなっていません。それでは時間を費やす分のリターンは少ない。もったいないなーと思います。
理由や意義を見出すのって理屈じゃない
「何をこの本(ネット)から学びたいか」を考えることなんて、まあ至極当たり前の話ではあります。どの読書本にも書いてあることです。
けどじゃあそれ出来んのか、というとそれは全く別問題なわけです。考えろ言われて考えられるものではない、と最近思うようになりました。考えられるだろ、とそんな気がしてたのですが、無理です。考えられません。無理すんな。
理由や意義を見出すのって、理屈じゃないんですよね。理屈で”作りこむ”ことはできるんですけど、その理屈は理屈によって覆されちゃうんですよね。だから新しく触れた本やネットに振り回されてしまう。まさにこんな状態でフラついてました。それでは学習効率もへったくれもない、ただの情報の夢遊病者になっています。
そういう意味で「考えるな、感じるんだ」というのは至言だなあと思うわけです。
これこそ「情報」としての認識、と「知識」としての理解、「行動」としての実践の違いだと思っています。書いてあるのを見たところで、何も意味はなく、その人への影響はありません。気をつけねばならないと思います。
行動の原体験こそ、学びの根源的なモチベーション
ではどうすべきかってことで、「行動」です。
これもまたよく言われる当たり前のことです。「知ってるわ」「分かっとるわい」と言われそうですが、案外できていません、行動前提の情報収集は。
実際にやってみなければ「理由」や「意義」は見いだせません。本当の意味での「疑問」も生まれない。めっちゃ失敗したり、ほんのちょっぴり成功したりといった原体験こそ、学びの根源的なモチベーションなのです。前述の頭でつくった偽の理由や意義は捨てなければなりません。
そういった意味で、行動を起こさない楽な読書やネットでの情報収集はやめるべきなのかなと。まずは行動しなければならないと強く思うわけです。闇雲に読書するなら、闇雲に行動したほうがよい。行動したことで生まれた疑問や学習したいことを、読書やネットに触れることを意識したいものです。
まずは行動、次に現場の声、その次に本、最後にネット
が理想的な学習方法の優先順位だなと、最近になって思った次第です。
ネットみて→本読んで→人の声を聞いて→行動する
もちろんこっちのパターンもありますが、成長度合いの大きさだったりスピードの点でいえば、前者のパターンだ、と。
まとめ:ネットと読書の手を置いて、まずはやるべきことをひたすらやる
もちろん目的なく、何となく本を読むことやネットで情報収集することの必要性も感じます。その中でビビッときたものによって、新しい領域を知るってこともあるだろうし、日頃から多くの情報に触れることでそういった出会いの確率を上げることになるため、とてもいいことだと思います。情報収集も大事。
しかしそれ自体を目的化してはいけない。薄く広く知っている”気分”になっているだけで、何も身についてない、イタイ人になりかねません。言ってみればGoogle先生がいる現代において、その人の知識としての価値はないに等しくなってしまいます。それは避けたいところ。
知識偏重以前に、情報偏重になってしまいがちだったので、反省したい。
そう思って最近少し闇雲な読書や情報収集は控えめにしています。言ってみれば「ネットと書を捨てた」感じです。結果いい流れができてきているように感じます。情報収集についても見なおしたものを、さらに見なおしているところです。
原著を読んでないので恥ずかしいかぎりですが、『書を捨てて町へ出よ』と言われます。本で知ってる気分になってる人への警鐘と理解しています。
もし読書もネットも身についてないと感じるのなら、一度ネットと読書を絶って、いまやるべきことをひたすらやることに身を投じてみることをオススメします。